生きた証になるのなら。
大きな街で私は たくさんいる人々の
一人にすぎない。
それが なんだか嬉しいような寂しいような
きっと田舎では○○さん家の○○ちゃん、
で、今のご時世、都会ではこんな人いたっけ。になる。
誰も私に見向きもしないし
ましてや、気にかけることなんてない。
今は それが嬉しい。
心の病気を持っていても いなくても
みんな一緒の人間で、わたしも その中の
一員になれている気になれるから。
学生時代からのイジメでクラスの
不良ヤンキー擬き共に目をつけられていた
あの頃とは違う。
シガラミはあるけれど自由で生産性は
ないけれど、それなりの日常を送れている
いま思えば学生時代のほうが ずいぶんと
病んでいた気がする。
今だから分かることだけど 幻聴や
見張られている感覚、街で話している人を
見れば私の悪口を言っている
( これは今もあるけど )、と
相当、切羽詰まった状態だったんだなって。
登校拒否もせず、よく頑張ったよ、ほんと。
保健室にヤンキーが溜まってるから
逃げ場もなく。
辛かったね、わたし。
場所も選ばずリスカ、アムカを
繰り返して左腕全部、傷跡だらけだけど
全部が愛おしい。
頑張ってくれた証だから。
生き急いでいたあの頃を鮮明に思い出すよ
時々、つらいけどね。
もし、左腕の傷が全部きれいに戻るなら
好きなことをしたいな。
お友達とプールや海に行ったり、
温泉に行ったり。。。
つけてしまった傷に悩むことはあるけれど
後悔はしてない。
堂々と半袖を着て歩いてもいいのだけれど
周りは嫌がるかな。
悲しいから泣くみたいに
眠れない日があってもいいよね。
そんな気分の午前4時。
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