心臓が美しいのは解剖室だけ

都会の喧騒の中、自分が浮いてるんじゃないかと
思ってしまう癖が治らない なずなです。

なんとか街に溶け込もうとするんだけど
勝手な主観で場違いな人間だと
本気で思ってしまっている辺り自意識過剰。
本当は、というか都会ならどんな人間も
溢れんばかりにいて当たり前なのに
そのレベルにさえも手が届いていない。
10年くらい前の時分は その思いを抱えつつ
ヴィジュアル系バンドに心酔し
友達と一緒とはいえ大都会東京に
溶け込めている気がしていた。
" ここは色んな人間がいていい自由な場所だ!"
と言わんばかりに目を煌めかせ闊歩していた
あの頃が羨ましい。

時間が進むにつれ、知識が増えるたび
ここは汚い場所。人間の汚い部分が溢れていると
思うようになった。薄汚い意味での自由。
今も昔も、この世界の綺麗な部分だけを観て
生きていたい、という想いは変わらないのに。
そんな綺麗なことばかり言ってるから
世界とのギャップにやられて精神疾患になり
泥水を啜るような思いをしながら、
それでも今日を生きてる。
未だに人の視線が怖くて、どこかで声を聞くたび
自分のことを言われてるように感じ心臓ばくばく
冷や汗をかいて焦りの波が押し寄せる。
早くやって来い躁の全能感。

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昨日は朝からずっと鬱々しさを身にまとって
全く人間らしいことができなかった。
好きなYouTuberのライブ配信のアーカイブを
垂れ流しにしてただ布団の中で、さらながら
芋虫のように息を吸って吐くだけの時間。
気づいたら20時間近く眠っていて超過眠。
起きたら体中痛くて。スッキリもしてないし
鬱々のループに完全になだれ込んだ。

今日は仕事だったから休もうかとも考えたけど
以前、職場に休みの連絡を入れたら
バイトの如く、休む時は代人を立てないと
いけないとのことだった。
誰ひとりの連絡先も知らないのに。
相変わらず病人に厳しい世界。
そんな事だから仕事も休めず、鬱々しさという
黒い大型犬を背中に乗せたまま出社。
腰は痛いわ、低気圧で頭は痛重いしで絶不調。
でも職場の人も利用者も そんなこと知らないから
目まぐるしい一日だった。

気が狂いそうな状況でも、叩かれても
暴言吐かれても、ずーーーっと笑顔を貼り付けて
いないといけない。こっちが利用者を叩くと
警察沙汰になるのに、なんでなんでどうして
利用者は職員を叩いたり、唾を吐きかけられても
笑顔で諭さないといけないの?
イラッとするよ、なんだコイツって思うよ。
頭の中には綺麗なことなんか浮かばないよ。
でも、この人達も病気なんだと思って必死で
堪えてるけど辛いもんは辛い。

私が好きなYouTuberさんが言っていたけど
" 利用者の笑顔で飯は食えねぇ " 
これほんと正しいと思う。
まず、こちらの人格がおかしくなってくる。
毎度毎度、介護の仕事をするたび
次はもう介護は辞めようと思うんだけど
他の仕事より少しばかり時給高いし
結局、この仕事を選ばるを得ない。
確実に鬱が悪化する場所なのにね。

今は可愛い利用者さんがいるから精神持ってる。
" あなたは心が暖かいね "
" 呼んで来てくれたのが貴方で良かった "
こんな言葉で毎日、嫌気がさす職場で
生き抜いてます。

大事な人がいても、愛してやまない人がいても
鬱は心のひび割れから重油の如くドロドロと
出てきて私の心を黒く汚く汚していく。
反面、心の一部では理解できない世界平和や
穏やかな生活を渇望していて心の中が混沌としています。


死んだら天国に行けるかな。
大好きな人達にまた逢えるかな。
大変だったね、よく頑張ったね、って
頭を撫でてもらえるかな。私の心は軽くなる。
そしたら もう二度と人間には生まれてきたくない
永遠に、この薄汚れた世の中から離脱したい所存です。

錠剤を飲み干して夢の中

( 溶けてこのまま終われたら )